4月29日から5月29日まで、私は南通の新世界外国語進修中心で実習していた。 新世界教育は1997年に上海で創立され、日本語をはじめ、英語、韓国語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語などを含めている総合的な言語教育機構である。10年の発展を経て、もう中国でもっとも大きな日本語養成機構になり、中国で唯一のJ·TEST社会的な試験スポットにもなった。下に南京、南通、無錫、江陰および常州五ヵ所で支所を設けた。南通新世界外国語進修中心はその中の一つである。 南通新世界外国語進修中心は2005年12月設立された以来、高い合格率で南通一帯で評判になった。今は十数人の教員をもって、日本語をはじめ、韓国語、英語、ドイツ語など、レベルやニーズによって、十数種類のカリキュラムが同時に行われる規模に発展された。それに、これからは一層頑張る勢いを見せている。 二回の面接を通して、私は南通新世界外国語進修中心に採用された。とはいえ、正式的な教員というわけでもない。新世界では兼職から始め、三ヶ月ほどの試練を経て、ちゃんとできて初めて正式的な教員になるという決まりだと言われた。考えた結果、私はそれを受けることに決めた。 教師になるのは私の夢ではなかった。この前は何度も面接を受けたが、みな失敗で終わった。自分の努力で実力が認められたのはこれが初めてだ。ここでであれば、と私はいろいろ考えた。忘れそうになる日本語をもう一度勉強できるし、習おうと思った韓国語もここでは便利だし、などなど、その結果、私はここからこれからの人生を始めようとした。 そうして私は新世界で実習を始めた。新しいクラスはまだできていないし、六月に学校に戻っては中途半端になることもあるため、今度の実習はちょっと特別だ。というのは、授業をするのではなく、授業を受けるということだ。ちょっと残念に思ったが、従うしかない。 授業を聞く日々が続いた。月曜日から金曜日までの授業であれ、週末の授業であれ、夜の授業であれ、ここでの日本語の授業はほとんど参加したことがある。そのため、ここでの先生の授業をやる特徴もだんだん知るようになった。活発だの、厳粛だの、緻密だの、人によって風格もさまざまだ。 幼稚園から数えてみれば、十八年の歳月も学校で過ごした。授業を受ける回数はもう数え切れない。しかし、前のように授業の内容を聞くと違って、今度はその様式を聞くわけだ。視角を少し変えれば、目に入ることもぜんぜん違った。まるで新しい世界を発見したような感じだった。また、この世界で私は歩くことを習ったばかりの子供のようで、知らないことはたくさんで、勉強すべきこともたくさんある。昔はごく自然だと思ったことは、今は小さいところまで一つ一つ気をつけなければならない。たとえば、教室での誰もが聞こえるほど声が大きいこと、黒板に字をきれいに書くこと、などなど。 迷ったり疑ったり飽きたりしたこともあるが、何とかして最後まで頑張った。正直に言って、いい勉強になった。この一ヶ月の授業を通して、教師という仕事に対する認識は深くなった。教師にとって最も重要なのは何か、その問題について考えたこともあるが、責任感だと思った。教師たる者は,たとえ学識や方法などに不足があるとしても、責任感があれば、その責任感ゆえに、自分の不足を補って、優秀な教師になるように努力を続ける。今日になってもそう思い込んだが、もっと全面的な、詳しいことを知るようになった。さらに自身を合わせてみれば、注意すべきことはいくつかあると思う。第一は自信である。 自信を持ってはじめて、学生が教師に対して信頼感を生み出す。ついでに自信があれば声も大きく出せる。第二は知識である。教師自身も知らないことを学生に教えるはずがないだろう。そのため、もっと多く深く知らなければいけない。第三は交流である。授業はただ一人のことではなく、学生全体にかかわっている。どのように納得させるか、どのように授業の効率を向上できるか、そのすべては学生に対する理解に頼ると思う。 授業を続けているうちに、私の気持ちは幾度変化した。自信から不自信へ、また自信があるようになった。今の私は、新世界の正式的な教員、さらに優秀な教師になる自信、それにそうなる決心もいっぱいだ。 |