要旨
中国と日本は地理の原因で古くから文化の交流が絡み合っている。元々は、日本は文字というものがない。しかし自分自身の発展のために、中国から漢字を取り入れて、それから、日本人が仮名を作り出し、自分なりの文字が生み出された。依然として数多くの漢語が保留された。しかしながら、近代以来、戦争の原因で中国は鎖国政策より開国に変更を余儀なくされた。日本を師として、社会、科学、技術などの分野を学びし始めた。
明治維新以来、日本は「脱亜入欧」の国策の下で、積極的にヨーロッパの先進技術や文化を導入することに成功し、漢字の造語法に基づき、近代社会、科学、技術用語が大量に作られた。日本では、19世紀後半には西洋の文物、概念を漢語によって翻訳した「和製漢語」が多く作られたのは事実である。そして、19世紀以降、数多くの日本製の漢語が中国に流入しつつ、外来語の勢いで中国語の中に定着している。これらの「日本製の漢語」は現在の中国語の中で幅広く使われている。本稿ではその過程について検討を試みると考えられる。
キーワード:近代;和製漢語;中日間;語彙交流
目次
要旨
中文摘要
1.はじめに.1
2.和製漢語とは2
3.和製漢語の歴史と分類3
3.1 江戸時代までの和製漢語
3.2 明治以後の和製漢語
4.和製漢語が中国に逆輸入された要因.4
5.近代中日間の語彙交流に役割を果たした有識者.5
6.逆輸入した和製漢語の中国の近代化に対する働き.6
7.終わりに7
参考文献.9
謝辞