要 旨
本論文は、主に1972年前後から1979年まで日中関係の変遷と大平正芳の役割を明らかにしようとしている。言うまでもないが、1972年は日中関係においては歴史的な年でり、大きな意味を持っている。日中国交回復が実現され、様々な面における交流や往来が始まったからである。しかし、その以降、中国の文化大革命の余興と日本国内政治の混乱を代表とする様々な原因によって、日中関係の進展は留まっており、特に実務的には、両国の関係は実質化する過程がまだ残されていた。1979年に至るまでは、大平正芳の訪中をきっかけに日中間の交流は、様々な側面で活発化した。日中関係も本当の実質化が実現されていた。このような流れの中で、大平正芳の役割がどうしても軽視できない。しかし、戦後の日中関係というと、特に、学生の中においては、田中角栄がよく知られているのに対して、大平正芳を知っている人が非常にすくないようである。そこで、本研究では日中関係が打ち切りから実質化されたまでの中で、大平正芳の役割を検討しながら、具体的な原因などを明らかにしようとする目的である。
まず第1章では、日中両国はどのように不正常な関係から国交正常化に達成できたのかを答えるとともに、それによって形成された「1972年体制」は、何であるかを明らかにした。第2章では、日中関係を実務化する対中経済協力は、どのように開始したか、またそれによって形成された「1979年体制」について分析を行った。最後に第3章では、日本の高校歴史教科書における大平正芳に関する記述を通じて、日中関係に関する歴史教育を検討しながら、田中角栄は大平正芳より知られている原因を考察した。
キーワード:日中関係 大平正芳 「1972年体制」 「1979年体制」
田中角栄 歴史教育
目 次
要 旨
中文摘要
はじめに-(1)
第一章 中日国交正常化と「1972年体制」-(4)
1.1 「政経分離」とLT貿易-(4)
1.2 中日国交正常化-(6)
1.3 「1972年体制」の形成-(8)
第二章 対中経済協力と「1979年体制」の役割-(10)
2.1 文化大革命から改革・開放へ-(10)
2.2 日本国内政治の混乱-(11)
2.3 大平の対中ODAの開始の表明-(14)
2.4 第一回ODAの実績-(14)
2.5 「1979年体制」の形成-(15)
第三章 高校歴史教科書における大平正芳に関する記述-(18)
3.1 日本歴史教育の現状-(18)
3.2 日中国交正常化に関する記述-(20)
3.3 大平正芳に関する記述-(21)
おわりに-(23)
参考文献-(25)
文献概要-(27)
謝辞-(29)