要旨: 本稿は1964年11月から1972年7月にかけて7年8ヶ月も長く組閣した佐藤栄作の対中対策及びその間の中日関係を調べ、考察してみたものである。戦後の中日関係を史的に考察した上、佐藤栄作の外交政策、対中国政策などを分析し、その間の中日関係について、次のような結論を出している。佐藤内閣は日本国内の要望に応えて、戦後米軍による沖縄への占領を終え、日本国への返還を実現させ、「非核三原則」を持ち出し、独立な外交姿勢と実績を見せている同時に、冷戦時代の自由陣営側に日本を位置づける外交政策を取った。その対中国政策もそのあたりを根源としている。結局、第四回中日貿易協定が達成して以来、徐々に拡大されつつある両国間の貿易や文化、体育などの分野の交流も後退、しいては断絶された状況に陥ってしまった。その一方、政界にしても、民間にしても、国交を回復し、友好的な両国関係を構築しようとする声が高まってきて、佐藤が首相を退任した同年の9月に中国国交回復が実現された。自由主義の政治的イデオロギーの元、中国を敵視し、台湾の国民党政権の正当性を主張するところが佐藤栄作の対中政策のすべての出発点でそれがゆえに佐藤内閣存続期間中の中日関係は前よりも後退したといわれざるを得ない。
キーワード:佐藤栄作、中日関係、二国論、吉田書簡
目次
摘要
要旨
1佐藤栄作- 1 -
1.1佐藤栄作という人物- 1 -
1.2佐藤内閣の外交政策- 2 -
1.3佐藤栄作の中国認識- 3 -
2 1950、1960年代の中日関係- 4 -
2.1サンフランシスコ条約と日台条約- 4 -
2.2中日交流の再開- 5 -
2.3国交回復前の中日民間交流- 5 -
3佐藤内閣時代の中日関係- 7 -
3.1中華人民共和国の国連加盟と中日関係- 7 -
3.2ベトナム戦争と中日関係- 7 -
3.3中日民間交流の拡大.- 7 -
4佐藤栄作と中日関係- 9 -
4.1自由主義陣営の一員と位置づけ- 9 -
4.2中国二国論- 11 -
4.3中日交流への障害- 12 -
5結び- 13 -
参考文献:- 14 -
謝 辞- 15 -