要旨:孫文の日本滞在期間は辛亥革命の前後を合わせて凡そ 9 年になり、支えた日本人は日常生活も含めると千人を超えている。孫文が日本で知り合った日本人の中には、第 29 代内閣総理大臣・犬養毅、実業家・梅屋庄吉、右翼の大物・遠山満、宮崎滔天など多くの政治家、実業家がいるが、最も信頼をしていた人は熊本県の宮崎滔天である。
宮崎滔天が孫文を支えた理由は滔天の家族の生き方及び孫文との出会いで育まれた滔天の思想の成長に有った。孫文との出会いから、世界革命を最後の落ち着き先と主張する孫文の思想と中国の革命をアジア革命の中心目標にする考えがほぼ一致していた点で二人は終生の友となり、滔天は孫文を支え続けたのである。具体的には以下のようである。
1.父・政賢は天性の自由を愛し、名利を憎み、母・佐喜も同情心が強く、また教育熱心であり、「畳の上に死するは男子何よりの恥辱」と子どもたちに教えたと言われている。
2.3 人の兄たちは「自由民権に散った天性の革命児」と「土地復権を生涯の使命とした哲人」と「理想の国を中国革命にみた思想家」であった。長兄・宮崎八郎の「自由民権」運動は「自由と平等を愛する兄弟の精神的原点」となっており、特に、一兄・宮崎民蔵と二兄・宮崎彌蔵の中国への関心と関与は滔天に大きな影響を及ぼした。
3.孫文と出会った宮崎滔天は孫文の学識と見識を高く評価し、孫文の思想と識見、抱負と情熱に魅了された。滔天は孫文のことを「彼のような人が一体何人いるか、亜東は珍宝なり。」と賞して、中国革命への援助を約した。
4.「世界の革命を最後の落ち着き先」と主張する孫文の思想と宮崎の「中国の革命をアジア革命の中心目標にする」考えはほぼ一致していた。
キーワード: 宮崎滔天、孫文、辛亥革命、友情
目次
要旨
中文摘要
序論1
一、研究背景:1
二、研究目的:1
三、研究意義:2
四、 研究内容:2
第一章家族の影響4
1.1 宮崎滔天の紹介4
1.2 滔天の兄3人の略歴5
第二章中国革命の認識7
2.1兄 2 人の中国革命の認識7
2.2 滔天と彌蔵の協議7
2.3 中国革命を支援する滔天の考え8
第三章孫文の影響9
3.1 孫文との初対面9
3.2 孫文を慕う10
3.3孫文が指導する革命を支援する10
3.4 孫文との友情12
第四章 アジア主義の影響14
4.1 アジア主義の背景14
4.2 アジア主義の思想14
4.3中国革命を支援する決心14
結論16
おわりに17
参考文献19
謝辞20