要旨
芥川龍之介の代表作の一つとして、「地獄変」は「芸術至上主義」を主題とし、芸術を追求する姿を描いた。それについての研究は多いだが、「芸術」の正体は末だはっきりしていない。この小説に、芸術を追求するために良秀の情熱は、「芸術至上主義」をうまく解釈した。良秀にとって全を尽して創作した屏風絵はその「芸術」を代表した。また、「芸術至上」という主題がしても、「地獄変」にはそれだけのものを描いたというわけではない。美と醜に対して主人公の態度は「芸術至上」から分かれるとしても、小説に出場した主要人物はただ良秀一人ではない、それに、表現された美と醜も「芸術」だけではない。以上の問題について、まだはっきりしていない。
美と醜は、辞書で二つの面に意味がある。一つは、人の好き嫌いによって変る感覚であり、人に快感を味わわせるなら美であり、不快を感じさせるなら醜であり。もう一つは、哲学で、美は調和·統一のある対象に対して、それは心の自由、人生の境界の高さということである。それとは逆に、醜となる。とにかく、物事は客観的な存在であるが、美と醜はそれと違って、人の主観的な判断だ。人を無視して美と醜を論じるのはできない。
この論文では、「美と醜」をめぐって、「地獄変」の出場人物の性格と筋を分析してみたい。これらの描写を通して、人物の立場で、美と醜の第一種の意味で各人物の美と醜を検討する。それから、哲学の意味で小説の内容から出る美と醜、その関係を検討し、その作品を利用して、美と醜について、弁証的により深く理解できれば、光栄の至ると思う。
キーワード:地獄変 ;美と醜 ;視角
目次
中文摘要
要旨
はじめに-1
1.『地獄変』について-3
1.1 あらすじ-3
1.2芸術至上主義-4
2.人物像から見た美と醜-5
2.1良秀の性格と信念-5
2.2大殿の上辺と内心-8
2.3娘の滅び-9
3.内容から見た美と醜-11
3.1屏風絵の創作-11
3.2絵師の自殺-13
おわりに-16
参考文献-17