要旨
第二次世界大戦で、ファシズムの道を歩んだ当時の日本帝国軍人はアジアの多くの国で放火したり、人を殺したり、強奪したり、細菌の人体試験など人類道徳を反することをした。戦後の日本も戦争について反省した。そして、反戦思想を現す映画も作成された。佐々木章光によって監督されたドラマ「永遠の0」は日本政府によく反戦思想を現した作品とみられる。しかし、その中に含んだ反戦思想は多くの被害国の国民乃至日本一部分の国民に不満されている。それと反して、Clint Eastwoodに監督された映画「硫黃島からの手紙」は世界の人々に反戦思想をよく現した作品とみられる。本論は「永遠の0」中の反戦思想として不具合のところを分析し、「永遠の0」と「硫黃島からの手紙」と正反面から比較し、反戦思想として限界性になる理由を分析して、「永遠の0」における反戦思想の限界性を探してみた。
キーワード:永遠の0; 硫黃島からの手紙; 反戦思想; 限界性
目次
要旨
中文摘要
1. はじめに-1
2. 正面から見た反戦思想の限界性-2
2.1 曖昧な術語-2
2.1.1 戦争の性質-2
2.1.2 「英雄」の概念-3
2.2 誇大なドラマ題材-4
2.2.1 「英雄」への謳歌-4
2.2.2 「愛情」への賛美-4
3. 反面から見た反戦思想の限界性--「硫黃島からの手紙」との比較-6
3.1 視点からの比較-6
3.1.1 自分側の一人兵士の感情-「永遠の0」-6
3.1.2 敵側の兵士らの感情--「硫黃島からの手紙」-7
3.2 テーマからの比較-8
3.2.1 戦争への美化--「永遠の0」-8
3.2.2 戦争への反省--「硫黃島からの手紙」-8
4. 反戦思想の限界性の原因-9
4.1 内因-9
4.1.1 天皇の戦後責任の曖昧性-9
4.1.2 各層の戦後責任意識の弱さ-10
4.2 外因-10
4.2.1 日本への戦後処理の不徹底-10
4.2.2 受害国からの戦後責任追及声の低さ-10
5. 終わりに-11
注释-12
参考文献-13