要旨:本論文は主に中日両国運命悲惨な皇子の詩作を中心に、二人の詩作の中心思想及び同じタイプの作品が似ているところをまとめてみる。李煜と大津皇子と言うと、皆はもっと彼らの悲惨な運命にため息するであろう。違った国にしても、二人の似ているところがたくさんある。第一、大津皇子は日本飛鳥時代皇族であり、李煜は中国封建時代の君主である。二人にとってそのような尊貴な出身が故に、二人とも各国権利の闘争に巻き込まれ、悲しい運命に決まっている。第二、高貴な皇子であるかたわら、両国詩作の歴史においては優れた詩人である。日本文化歴史によると、大津皇子は最初に中華文化に触れる人であったので、すばらしい漢詩をたくさん作った。そのことで、日本の「漢詩の祖」と呼ばれている。それに対して、李後主は中国の「詞帝」と認められている。李後主の詞が「晩唐を受け継ぎ、南宋と北宋を開く」という特色を持っているのは後世の人に認められるところである。彼は中国婉曲派の詞人であり、前期詞の風格が明解で分かりやすいが、後期になると、国が破れ一家離散することで、悲しい感情が溢れる作品が出てきた。第三、李後主と大津皇子はそれぞれ自分の命が終わる時に辞世の作品を世の中に残した。李後主の『虞美人』と大津皇子の『臨刑詩』が後世の人に詠われている。大津皇子は自分逃せない運命に対してのどうしようもない感情を表した。それに対し、李後主は故国に関する物事を懐かしく偲んだ。第四、二人は勝手気ままで風流な貴族様である。二人は愛に対する執着と追求が似ているようであり、世の中に恋に関わる作品が残された。
本稿は大津皇子と李煜の詩作の比較はただ感情の特色を分析するに止まっている。個人の知識能力が足りないので、様々な角度から深く分析できないところがたくさんある。これからも、二人の詩作の共通所を研究していくつもりである。
キーワード:悲惨 临行诗 詞帝 漢詩の祖 恋歌
目次
要旨
中文摘要
はじめに-1
1.主人公の時代背景及び家庭背景-1
1.1大津皇子について-1
1.1.1大津皇子に関する時代背景及び家族状況-1
1.1.2『日本書記』における大津皇子の運命の説明-2
1.1.3大津皇子「謀反罪」についての社会的論説-2
1.2李後主について-2
1.2.1李後主に関する時代背景及び家族状況-2
1.2.2史料における李後主の運命の説明-3
1.3大津皇子と李後主の身分及び運命の比較-4
2.主人公の「最後の書」についての鑑賞及び感想-4
2.1大津皇子の『臨刑詩』について-4
2.1.1大津皇子の漢詩―『臨刑詩』-4
2.1.2大津皇子の漢詩と中国文化の関係-5
2.1.3大津皇子「臨刑」の和歌-5
2.2李後主の『虞美人』について-5
2.2.1李後主の『虞美人』-6
2.2.2『虞美人』についての感想-6
2.3主人公の性格から見られた詩作のスタイル-7
3.恋に関する作品-7
3.1大津皇子の恋歌-7
3.2李後主の恋歌-8
3.3二人作品の比較-8
おわりに-9
参考文献-10
謝 辞-11