はじめに
武士階級が消滅した明治期においても武士道は存続した。旧武士階級から士 族階層への変遷、また明治期における士族階層の役割・足跡を追いながら、明 治日本に影響を与えた思想としての武士道について一考察を試みたい。
武士道の成立に関しては諸説あり、武士道そのものの定義もあいまいである。 それは武士道がもつ時代ごとのさまざまな諸相である歴史的特殊性を明らかに することなしには概括すら困難であるという点に理由がある。武士道の概念化・ 一般化を行うよりもまず時代ごとの諸相を観察することによって武士道の全体 像を俯瞰する視点を構築するところから始めなくてはならない。
明治期における武士階級の解体がどのように行われ士族階層の形成へと繋 がっていったのか、士族階層が明治日本の社会階層のどの部分に位置し、どの ような役割を担っていたのかを明らかにしたうえでその士族階層が持っていた 行動規範なり規律・道徳を考えていくことが必要である。
明治期において武士道は以下のような流れを形成することになる。
1)山岡鉄舟等の旧来の武士道を守り伝統を伝えるもの、また福沢諭吉『や せ我慢の説』等に代表される精神論に受け継がれていく<和魂的武士道>。
2)『葉隠』の伝統を残し、軍人勅諭等に代表される天皇中心の政治形態を強 固なものにしようとするイデオロギーとしての滅私奉公を基本理念とした<皇 道的武士道>。
3)新渡戸稲造『武士道』に代表されるプロテスタント精神との融合を目指 し、国際的かつ普遍的な思想へと武士道を高めていこうとした<キリスト教的 武士道>。
これまで武士道といえば1)及び2)のような形で取り上げられることが多 かったが、本論後半においては3)の新渡戸らキリスト教者たちが考えたこと を新渡戸稲造の著作『武士道』を中心に論じてみたい。キリスト教徒である新渡戸は、当時の先進国における思想の原点であるキリスト教的世界観と武士道 をどう融合させ西欧諸国の共感を得ようとしたのか。そしてその過程において 武士道に世界的普遍性は付与できたのかを考えてみたい。