要旨:90年代以後の漫画やアニメに、いろいろな悪玉が登場した。その悪玉たちは善玉とは対立しているが、自分に原因があることは分かる。彼らは決して絶対的な悪ではないが、彼らを正義とは言うまい。その中から、日本人は何が「善」であり、何が「悪」あるのか、どのように思っているかを考察したい。漫画の中における善悪観も人の善悪観念の体現であると思う。 今の日本人には善悪の基準がまったく無くなってしまったようで、善悪の意識が薄くなってきたとも言える。 神の定めた律法のない日本人にとって、善悪は相対的なものであり、絶対的なものではないので、個人のエゴイズムのみ充満する現代では善悪の相対すらなりたたない。自分がやりたいことをやるのが善で、やりたいことがやれないのが悪とでも思っているのであろう。もちろん、それには色々な原因があり、多方面からの影響をうけて変わってきている。それゆえ、それを形成する可能な理由を論じてみたい。社会面、宗教面、歴史面の三方面から考えられると思う。現代は道徳的に清く正しい生活をするという基本的なことが、どこかへ置き去りにされてしまって、物質的な生活を楽しむことばかりを求め、それを得るためには手段を選ばない風潮である。歴史的には、第二次世界大戦の戦敗国である日本は、自分が正義であると主張することはできない。 そのために、そのような意識が生まれてきたかもしれない。 宗教的には、日本には仏教と神道の両方がある。 善と悪とは対立せず、ダブルイメージとしてお互いに融合し、互換可能な関係にある。 これが日本人の善悪に関する考え方の一指標である。 宗教の極地は善悪を越えたかなたに存在し、善悪はむしろ世俗的な問題だ、というわけである。 善悪にこだわるのは、生き方の本質ではないと考えられてきたのである。そのため日本人には絶対的な悪の観念がなく、根源的に悪を掘り下げて突き詰めていくという思考形態も培われていないのである。最後に、将来の悪玉はどのように変化していくかを展望するつもりである。
キーワード:漫画 アニメ 悪玉 善悪 善悪観の形成