要 旨:日本の枯山水と中国の築山式庭園の比較は、非常に興味深い話題である。中国の庭園は長い歴史を持っていて、世界では独自に一家をなす。明朝の造園家が『園治』のはじめから「人工ですが、まるで自然のままになす」という言葉は、中国の庭園の客観的な描写である。日本の庭園は中国から生まれ、中国の庭園の多くの影響を受けられて、その後、本国の文化の影響で大胆な発想を通じて、自分らしいの枯山水庭園のスタイルができた。枯山水は日本庭園の代表、築山式庭園は中国庭園の核心だといえる。ふたりはもともと同じ思想——禅宗から生まれた。
枯山水は簡略な山石を禅宗に観ずてから精神的な対象に昇華し、石組みや白砂などを「空相」、「無相」の境界に抽象する。山石とは中日庭園の重要な構成要素であり、庭園の景観スタイル及び空間特色の形成するのに大事な役に立つものである。昔から一衣帯水の中日両国は、多くの分野で密な関係を持ち、相違もあり、融合もある。本稿は中国築山式庭園と日本の枯山水を比較してから違いところを分析し、そして、その原因を探し、両国の自然観を研究してみたものである。本稿は差異点の分析に力を入れ、そして次のような結論に至ったのである。同じ禅宗から生み出すとしても、両国は造園の理念と自然観には多くの違う点があるということである。
キーワード:枯山水;築山式;自然観
摘 要:比较日本的枯山水和中国的假山,是一个饶有兴味的话题。中国园林有着悠久的历史,明代造园专家在《园冶》起首篇提出的“虽有人作,宛自天开”就是对中国园林的真实写照。日本的园林起源于中国,受中国园林的影响很大,后来又经过自身文化的影响,通过大胆地发展与创新,形成了自己的枯山水庭院的风格体系。可以说,枯山水是日本庭院的代表,假山是中国园林的核心。二者都有一个思想源头,都来自禅宗。
枯山水庭园把简约了的具象山石通过禅悟升华为精神性对象,把岩石石组和白砂等抽象成为“空相”、“无相”的境界。山石是中日园林中的重要构景元素, 对形成园林的景观风格及空间特色起到至关重要的作用。本文就是在中国假山园林与日本枯山水庭院中做比较,总结出其中的差异,并探讨两者差异的原因及体现出的两国的自然观,最终得出结论:日本枯山水和中国假山园林虽然都起源于禅宗思想,但两者在造园理念和自然观方面还是有很多差异的。
关键词:枯山水;假山;自然观