要 旨:日本人の戦前戦中期の「東南アジア観」はまず、近代化のモデルを欧米に求める“文明信仰”、次、東南アジアは文明と無縁の怠惰な人々のいる所という南洋怠惰観、また、日本の富強のための東南アジア資源着目論である。まさに「脱亜入欧」の思考である。
こうした発想がその後の日本の近代の中でどのように変わったのか、変わらなかったのか、は今後の研究課題だが、アジア太平洋戦争期は上述の第二と第三の意識が極度に強まった時期と言える。
戦後、日本が戦争責任をきちんととらなかったことは言うまでもないが、特に東南アジアに対しては、侵略したという意識はきわめて希薄だった。
近代以来の日本人の東南アジア観を克服する課題は、日本が政治軍事大国への道を歩むのか、平和と人権をベースにした地球市民への道を歩むのか、その選択と直接関わる問題なのである。
キーワード:東南アジア観、太平洋戦争、湾岸戦争、脱亜入欧、大東亜の共栄
中文摘要:日本人战前战中的“东南亚洲观”首先以欧美为近代化的模板力求“文明信仰”其次,南洋怠惰观:视东南亚跟文明无缘及东南亚的人民都是怠慢无能的。再次日本为了本国的富强已经瞄准了东南亚的丰富资源。这不正是“脱亚入欧”的思想吗?
这种思想在今后日本近代化进程中是如何变化的,这是今后要研究的课题。亚洲太平洋战争时期是上述第二第三点意识极度强的时期。
战后,日本对战争几乎不负任何责任,尤其对东南亚更加不承认侵略的事实。
近代以来日本人的东南亚洲观直接关系到日本是选择走政治军事大国的路线还是以和平与人权为基础的路线。
关键词:东南亚洲观;太平洋战争;脱亚入欧;大东亚共荣圈