要 旨:尾崎紅葉は日本近代の硯友社の中心作家であり、写実主義を理想として井原西鶴の文章を学び、雅俗折衷体の『二人比丘尼色懺悔』を持って文壇に登場し、「である」体で書かれた『多情多恨』は心理描写の巧みさで注目された。日清戦争後の世相を反映し、社会的写実小説の傾向をもった『金色夜叉』は、雅俗折衷体に欧文脈を交えた美文調で書かれ、人々に愛読されていた。『金色夜叉』は愛と金の争いをテーマとして明治期最高の人気作品になるが、未完のまま世を去り、後世の人に無限な仮想を残しているが、当時の金銭万能主義の世相を暴露した点に焦点を当てながら、当時の人々の金銭観を把握しようとすることが本研究の目的である。
本論文の総体的な主筋は主に次のように構成されている。まず第一章では、研究目的と意義を述べ、先行研究を紹介することによって、この課題に関する研究現状を把握して、自分の論点を確立しておいた。第二章では、『金色夜叉』の作家と作品について紹介し、本論に入るための下敷きをしておいた。第三章から本論に入るが、『金色夜叉』における金銭万能主義への批判について論じたが、主に貫一、お宮と満枝という三人の人物像からそれぞれの金銭万能主義を論じた。最後の第四章では、本論文の結論と今後の研究課題を提出した。
つまり、『金色夜叉』を見ると、美しいお宮は金に眼がくらみ、許嫁の貫一に背いて、富山に嫁ぐが、絶望した貫一は学業を捨てて、強欲非道な高利貸しになり、世間とお宮に復讐しようと計るが、愛情に目覚め直し、満枝は父に売られ、金銭主義者になるが、貫一と出会って愛情至上主義者に変身するという話であるが、これを通して、当時の金銭万能主義への批判を明らかにし、当時の金銭万能主義という価値観への批判性と人間性を喚起することを呼びかけている。作者が経済的に左右された社会や人生を広い視野から眺め、悩み苦しむ主人公たちの心理をも細かく分析し、結局愛は金銭に勝ることを強く主張している。
本論文は『金色夜叉』の研究を通して、尾崎紅葉の作者と作品に関する認職を深めることが出来るだけではなく、また、金銭万能主義が氾濫している時代に生きている人々は、正しい価値観を確立することの大事さが分かるようになった。いつの時代にも愛はこの世界で唯一の永遠に存在されるものだという理解もできる。と同時に日本近代の代表的な作家である尾崎紅葉の作品、創作時代の歴史背景についての理解を深め、日本近代小説の鑑賞力とを高め、審美眼を磨くこともできた。今後今までの研究に基づきながら、進んで幅広く近現代作品を多読し、日本文学を一つのきっかけに日本文化を理解し、中日文化交流の促進のために微力を捧げたいのである。
キーワード:尾崎紅葉、価値観、主題、愛、金銭万能主義