はじめに
『孫子』は中国の春秋時代の兵法家孫武が書いた世界でも有名な兵法書である。『孫子』が始計篇(一)、作戦篇(二)、謀攻篇(三)、形篇(四)、勢篇(五)、虚実篇(六)、軍争篇(七)、九変篇(八)、行軍篇(九)、地形篇(十)、九地篇(十一)、火攻篇(十二)、用間篇(十三)の十三篇で構成されている。戦略に関しては、古今東西の最良の書が『孫子』であると思われる。更に『孫子』が政治や経済でも後世の人に様々な影響を与えたと思う。現在でも人間関係の書、ビジネス書として、多方面にわたって応用されている。
『孫子』は三国時代の名将諸葛孔明をはじめ、ナポレオンや毛沢東など数多くのリーダー達に用いられた。日本において『孫子』を実践した人といえば、やはり戦国時代の有名な武将武田信玄ではないだろうか。武田信玄が、戦国最強と呼ばれる騎馬軍団を率いて、甲斐の虎と呼ばれる。信玄が『孫子』を愛読し、その思想を軍旗に記した。「孫子の旗」を挙げて、戦国時代に莫大な成功を収めた信玄は後世に興味深げに話されている。
信玄の成功と『孫子』の関係についてのことが、「風林火山」を研究する人が多いようである。信玄が「風林火山」の応用についての研究結論も数多く見られる。しかし、信玄の成功はただ「風林火山」の影響だけではなく、『孫子』の全編から得たものだと思われる。そこで、本稿では、『孫子』がどのような影響を武田信玄にもたらし、そして信玄の成功との関係がどのようになるかについて全面的に論述したいと思う。
以下では、まず、具体的に四つの例を取り上げ、『孫子』の十三編の中の四編と結び付け、信玄が『孫子』を具体的な応用と『孫子』が信玄にもたらす影響を考える。次に、『孫子』全篇から伝えた総体思想と信玄の戦略思想と分析する。