要 旨:日本の有名な精神病学者の土居健郎① は、「日本社会における種々の営みを貫く一本の糸が甘えである」と主張した。「甘え」についての先行研究、中嶋柏樹の『甘えの構造』の中では、「甘えの語彙」、「義理と人情」、「他人と遠慮」、「内と外」、「同一化と摂取」、「被害感」、「自分がない」の方面について分析し、現実社会に存在する幾つかの問題との関わりを指摘した。ところで、調べる限りでは、甘えの心性と日本人の集団意識との関わりの先行研究はほとんどない。本研究では、「義理と人情」と「他人と遠慮」と「内と外」と「自分がない」のような甘えの現象から、日本人の集団意識との関わりについて考察してみたい。
発達的に見ると、甘えというのは母子関係における赤ん坊の心理が起源である。しかし生まれた赤ん坊について、甘えているとは言わない。それは、ある程度精神的に発達して、母親が自分とは別の存在であることを知覚した後、母親に接近してその一体感を求めることを指して「甘え」というのである。赤ん坊の心理は、胎児の延長で母子が一体となった状態にある。やがて母親が自分とは別の存在であると知覚できるようになるが、その母親が自分にとってなくてはならないものだと感じて密着することを求める感情が甘えなのである。このことから見ると、甘えの心理は、人間存在に欠かさない分離を否定されないもので、その分離に伴う痛みを解消しようとするものだと言えるかもしれない。逆に言うと、甘えの心理が強くなっている場合、その背後には分離にまつわる葛藤や不安が潜んでいると考えることも可能だと思う。